Dec 29, 2006

ご報告

さて、私。このたび、日本原子力研究機構のポスドクに任じられ、平成19年4月1日より着任(1年任期)いたします。微力ではございますが、今後も努力を惜しまず研究活動に取り組む所存でございますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。書中をもちまして御礼かたがたご挨拶申し上げます。


で、具体的に報告すると
来年度の原研ポスドクに応募しました。
12/4 -5 に業績審査および人事面接がありました。
結果、内定をいただきました。
うれしいです。
2007/3月末、日本に完全帰国します。
帰国は、かなしい・・・。

高導電性高分子膜材料研究グループ
勤務地は、群馬県高崎市です。

Dec 28, 2006

いま

執筆活動中です。
といっては、おおげさですが、海外滞在記を書いてます。
前回は、放射線化学という学会誌。
原研サッカー部の先輩が雑誌の編集委員ということで、
「えの、お願いね」で決まってしまった。
すでに掲載されてます。
これは、1 ページの記事なので楽でした。

今回は、放射線と産業という雑誌。
原研 ex-Lab の副主任が雑誌の編集委員ということで、
「えのちゃん、書いて」で決まってしまった。
この雑誌、ながいんです。
じぶんにとっては・・・。
4~5 ページ書かなければなりません。(フォント 10 の小さい字で)
シカゴに2度観光したのみなのでネタがない。
ので、Notre Dame 大学の歴史など書いてみた。
けっこー、歴史っておもしろいことに気づく。
創設者 E. Sorin は偉大だ。
いま、執筆から脱線気味です。

文書を書くのは、難しいです。
苦手です。
できあがったら、ここでも紹介しますね。



ツカへ

(大木) 「オレは、文(ぶん)書くの苦手だからよ」
(まるも)「読むのもでしょ」

Dec 26, 2006

さよなら

12:10発の Coach USA(バス)で Puspa が Notre Dame を旅立ちました。
インドに完全帰国します。
24時間の長旅。
6つの重たいバックを2回に分けてバス停まで運びました。
最後までバタバタとして、バスを少し待たすところが Puspa らしかった。
Coach USA がバス停を出発する光景は、なんともさみしい。

文化の違いから、最初は理解できないことも多かった。
めんどくさがりでわが道を行く性格だった。そして、人使いが荒かった。
けど、いまでは理解し対等に話し合える仲間。
苦労ばかりだったけど、いい仕事をしていったとおもう。


じぶんも、来年3月には Notre Dame をでることになる。
おなじ光景が待っている。

Dec 25, 2006

Merry Christmas

12/24 の夜11時から以下のイベントが Notre Dame でありました。

Christmas Lessons and Carols followed by Midnight Mass Basilica

今年のクリスマスイブは、Basilica(教会)で過ごしました。
讃美歌をみんなで歌いました。
いま、その帰りです。

教会で過ごすクリスマスは初めてです。
幻想的で、心穏やかになります。
ゆっくりと流れる時間を感じることができました。

Dec 22, 2006

旅立ち

きのう、Bert が Notre Dame を旅立ちました。
かなしくて、涙が止まらず、湖でしばらく思い出にひたってました。
4ヶ月の短い間だったけど、いい時間を過ごせました。
研究テーマがとても近かったので、一緒に仕事できたことがうれしかった。
仕事の合間には、ジムにも行った。
Bert は最初のベンチプレスが 35 kg だった。
で、いまは 70 kg。
倍を持ち上げられるようになった。
そんな成長をみて、共にがんばれたじぶんがいます。

 

Bert は、これから大学4年になるお金がないから1年間働くのです。
勤務先は、日本。かな?
 
We'll see.

おとといは、Lupe がメキシコへ、25日は、Puspa がインドに完全帰国。
さみしくなりますよ。 Posted by Picasa

Dec 18, 2006

あすは

はじめて病院にいきます。
じぶんには、Regular Doctor がいません。
だから問診をしてくれるお医者さんをさがすのが第一ステップ。
日本とは、医療制度が大きく違います。
これが、大変。
アメリカは、ダメといわれてももう一度お願いするくらいのしつこさが重要。
と、感じる。
対応する人によって、ぜんぜん違う。
1度目は、早くても来年の2月といわれた。
あきらめずに3度目の電話。(いろんな人に協力していただきました)
で、OK がでた。
電話した次の日に血液検査をやってくれた。
実際会ってみて、とても親切なおばさんでした。
息子さんが、日本に1年間、留学経験があるとのことでした。
その日は、血液検査のみ。
結果は、あす。

どうでしょう?

Dec 10, 2006

前へ

多少、時差ボケです。
今回は、トンボ帰りだったので長引かないような気がします。

きょうは、Radiation Lab. のクリスマスパーティーがありました。
めずらしく正装していかなければなりません。
Boss の奥さんと娘さんに選んでもらった服を着ていきました。
みんなオシャレしてきて、新鮮でした。



パーティー後、家で早明戦をみました。
縦のメイジ、横のワセダ。
紫紺と赤黒を着た男たちが魅せる伝統の一戦。
久しぶりの重戦車復活とのことで楽しみにしていた。
が、、、。
前半終了前、明治がゴール前でもらったペナルティにおける選択は、スクラムではなくタッチキック。モールを得意とする明治なので、タッチキック後のラインアウトからのモールでトライを狙う意図はわかる。わかるが、あれで早稲田の勝ちは決まった。残念だった。慶応 OB の解説者も「あぁ~、タッチキックですね」と・・・。悲しかったであろう感情が言葉からうかがえた。国立にいた全員が、明治のスクラムトライに挑む姿をみたかったに違いない。
押されど押すのが明治。とくにかく押すのが明治。そんな明治がみられたのは後半の後半、明治 FW がみせたタテ攻撃はうれしかった。紫紺は前しかみえてない、北島監督の残した「前へ」の精神は生きている、継がれている。重戦車復活は近い。



○上記文書とはまったく関係ない帰国したときの写真

シカゴ上空を飛んでます。
うっすらとみえるのが、シカゴの中心街。



高崎の紅葉

Dec 7, 2006

I'm in South Bend.

12/4-5、日本で研究業績審査と人事面接を行いました。
12/6、無事着です。

South Bend は、雪です。
予想はしていたけど、またまた飛行機が飛びませんでした。
Chicago からバスで帰ってきました。
トラブルありありです。
まぁ、経験・経験とおもいながらトラブルにも対応してきました。
けっこー、気持ちを切り替えるとトラブルも楽しめます。
Chicago でSouth bend 行きの飛行機を待っていたら、まさかのキャンセル。
天候不良が原因。
あす(きょう)から仕事なので、帰りたいとのことを伝えてバスのチケットを取りました。
トラブル1、荷物の受け取りを #6 でしてくれとのことで行ってみた。
(空港がパニック状態だったので)1時間待った。
来ない。
再度、来ないことを伝えに行った。3回も。
トラブル2、ごめん、みつからない・・・とのこと。
あすには探し出すから、South bend 空港に取りに行けと。
やられた。
トラブル3、South bend が吹雪。寒い。

世界最大の Chicago O'hare 空港でいろいろたらい回しにされるのもいい経験です。
これからはなんでも来いって感じになります。


面接の結果、まだわかりません。
業績審査での発表は、魂込めました。
なにを話したかおぼえていないほど夢中で熱いものでした。
Radiation lab のみんなが出発前や発表練習のときに励ましてくれた。
Good luck の一言が、力をくれた。
ひとりで発表練習しているとき、lalo がみんなやったほうがいい、緊張感が出る。己にストレスをどんどんかけるべきだってアドバイスをしてくれました。日本語の練習なのに bert や lalo は、夜遅くまで熱心に聴いてくれました。共に戦っている感じでした。最後は、boss に絶対負けてくるなと送り出されてきました。

熱い4日間でした。
久しぶりの仲間や業者さんとの出会い、最高でした。

平日の忙しいときに、集まってくれた友よ。ありがとうね。
しんいちろー、今度は鹿島で会おう!



日本は、なんともかなしい事件ばかりで暗く感じました。